災難の鐘が平和を告げた時 トリエステの教会
滞在最終日、バスで丘の上にあるサン・ジュスト聖堂に向かった。元々はローマ時代からあった建物が、中世にロマネスク様式の2つの教会になり、14世紀にゴシック様式で合体されて現在の形になったという。大きな薔薇窓が目を引く。
入口付近にあったピエタの像が、生々しいキリストの死と側近の哀しみを劇的に表現して印象的。
この教会の一番の見どころは、後陣左礼拝堂のモザイクだ。半円形の礼拝堂の壁に、聖母がイエスを抱いてたたずんでいる。しっかりと前を向き、悩める人々をしっかりと受け止めてくれそうな大きな愛の姿。そんな聖母の両脇に控えるのが大天使ミカエルとガブリエルだ。見方を変えれば、この構図は水戸黄門と助さん角さんのスタイルにも見えてきた。
普段は暗い場所だが、1ユーロを照明台に入れると、聖母像が黄金色に輝いた。
この聖堂には市民の信仰の深さを表わすこんなエピソードがあった。1421年に聖堂に雷が落ち、火事になった。高台のため消火用の水が不足したが、市民たちは街中のワインをかき集めて見事消火に成功したという。だけど、別の見方をすれば、 火事を消すほどのワインがあるなんて、市民が相当の酒好きだったという証明かも。
もう一つの礼拝堂には、原型の断片から発想を得て創作したという、グイド・カドリン1932年作の新しいモザイクがあった。
ここにある鐘楼は、時を告げることの他に、外部からの攻撃を市民に知らせるという悲しい使命を背負ったいたこともあった。鐘は不幸を告げる音色を響かせていたわけだが、とても幸せな鐘が鳴った時があった。
それは、1954年10月26日。紆余曲折を経て国連信託領から最終的にイタリアに再統一された日に、流浪の旅の終わりを告げる鐘が、高らかに鳴らされたのだった。
聖堂の横、カテドラーレ広場にある巨大な像は、1934年に製作された戦没者慰霊碑だという。この上のサン・ジュスト城からは市街が一望できるのだが、ちょうど修復中で上れなかった。
大運河の奥にあるサンタントニオ教会は、すっきりした空間を持っていた。
中央祭壇の天使のレリーフが、さりげなく美しい。
掲げられた絵も美しい。
その隣にあったセルビア正教会の聖堂。青い5つのドームを持つこの聖堂はベオグラード大司教の管轄下にあるという。すぐ近くにスロベニアとの国境が迫っており、そちらからトリエステの会社に通っている異国人もいるという、国境の街らしい佇まいだ。
海岸に出ると、こんな像があった。お針子さんの像だそうだ。「イタリア復帰を祝って万国旗を縫う女性の像」。こんな庶民の像があるのもトリエステらしい。
すぐ横には旗を掲げる戦士の像。とにかくこの街はいろんな像と対面できる。
最後にささやかなイルミネーションを。訪れたのが冬だったので、こんな通りの装飾に出会った。
日本のイルミネーションはかなり派手なものが増えているが、イタリアは大きな都市でもあまり豪華なものはお目にかからない。クリスマスに対する意識の違いなのかも知れない。
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