フィレンツェ 風景

「インフェルノ」ラングドン教授の辿ったルート上-フィレンツェ編

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 このほど発行されたダン・ブラウンの新作「インフェルノ」を読んだ。「ダヴィンチ・コード」でもおなじみの、主役のラングドン教授は謎の解明のために世界を奔走するが、たまたま主要舞台となった都市は行ったことのある街ばかりだった。それで、小説では見ることのできない都市の風景を、ストーリーに沿って辿ってみよう。(但し、ネタバレになるような核心部分には触れないように注意して書き進めたいと思います)

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 冒頭、ラングドン教授は病院のベッドで目を覚ます。どうして、なぜここにいるのか、記憶が戻ってこない。 ただ、窓の外に見える建物がヴェッキオ宮殿であることで、今フィレンツェに居ることだけがわかった 。しかし、突然襲撃者が侵入して攻撃される。そこに居合わせた医師シエナ・ブルックスに助けられて街中へ逃走する。

 その最中、彼の衣服にあったプロジェクターをみると、ボッティチェッリの「地獄の見取り図」が映し出された。

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 それは、ダンテの「神曲」のなかの地獄篇をテーマとしたものだ。それで、この不可解な状況を解明すべく、ダンテ地獄篇から謎解きに入って行く。ただ、追われっぱなしなので、逃亡を続けながらの行動となった。

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 逃走のルートはピッティ宮殿の庭を通り抜けて、

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 ヴェッキオ橋の上に造られているヴァザーリの回廊を通り、

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 ヴェッキオ宮殿へ。

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 宮殿内の五百人広間に解明の謎が隠されていると見て潜入する。

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 その広間には、ヴァザーリ作の「アンギアーリの戦い」 の大きな絵画があり、これを経由して辿りついたダンテのデスマスク保管室で、

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 デスマスクがなくなっていることが判明した。

 そのころ、ラングドン教授の友人であるドゥオモ付属美術館長イニャツィオが急死、ダイイングメッセージとして「天国の25」という言葉が残されていた。

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 ラングドンとシエナは手掛かりを求めてダンテの家へ。

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 さらにダンテとベアトリーチェが出会ったという教会へ。ここで「神曲」に詳しい人と出会い、「天国の25」というのは天国篇第25歌 を意味し、そこには「私の洗礼盤の前で、冠を探すことになろう」という言葉が書かれていることを発見する。

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 ダンテが洗礼を受けた場所はどこか?それはドゥオモの隣りにあるサン・ジョヴァンニ洗礼堂だった。

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 しかも、その洗礼堂の東門にはミケランジェロが名付けた「天国の門」があるではないか!

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 洗礼堂の中に入ると、きらびやかな黄金の輝きに圧倒される。

 そこにあった洗礼盤の中で、消えたダンテのデスマスクを発見する。そして、デスマスクには「馬の首を断ち、盲人の骨を奪った、不実なヴェネツィアの総督を探せ」の文字が残されていた。

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 ヴェネツィアに行くしかない!ラングドンとシエナの二人の舞台はアドリア海の女王・ヴェネツィアへと移って行く。

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フィレンツェの夜を歩く・ルネサンス幻想

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 さわやかに澄んだ春の夜、フィレンツェの街角に立った。吹きすぎる風に乗ってかすめる人々の言葉のかけら。

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 「鮮やかな炎色の衣装をまとった女性が、現れた」。ダンテが神曲・地獄篇で描写したベアトリーチェの移り香が、目の前で香ったような気がした。

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 振り返ると、アルノ川の静寂。5世紀も前から変わらずにその流れを続けてきた、歴史の運び手。せせらぎが涼やかな音を届ける。

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 間もなくルネサンスの精華であふれるウフィツィ美術館にたどり着く。ミケランジェロの剛毅、ダヴィンチの尊厳、ラファエロの優雅。そしてボッティチェッリの華麗。世界中の人々を虜にしてやまない美の競演がここにある。

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 観客が立ち去った館内で、彼らは何を語り合っているのだろうか。

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 そして、すぐ隣には政の中心・ヴェッキオ宮殿がそびえる。メディチ家の振興と失脚、サヴォナローラの盛衰

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 麗しきシモネッタとジュリアーノの束の間の恋、いずれもがもう、歴史の襞の奥にまぎれてしまった。

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 仰ぎ見るドゥオモ。往時は世界で1,2を争う巨大建築だった。ブルネレスキの執念と共に今もその優雅は、微塵も衰えをみせない。

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 それどころか、夜の闇を突き抜けてそそり立つ雄姿は、どこまでもりりしい。

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 フィレンツェの市の花は白百合。浮かび上がるのは、まぎれもなく象徴の白をまとった「聖なるマリアの花の大聖堂」だ。

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 ジョットの鐘楼が空に突き刺さる。

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 小高い丘を上り、たどり着いたのはミケランジェロ広場。

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 半世紀近く前アルノ川の氾濫で壊滅的な被害を受けたサンタ・クローチェ教会も、今はいにしえの姿を取り戻した。

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 まるで箱庭のような狭いスペースに、あらゆる美のエッセンスが存在する街。まるで気が遠くなりそうな美の小宇宙。

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 明日はこの街ともお別れ。

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 そう。深呼吸を2回して、ダビデに見送られながら、

 もう一晩だけ、底知れぬBellezzaの迷宮に迷い込もう。

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ダンテとベアトリーチェ・街角に残る「神曲」の言葉

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 フィレンツェの美術についてはいろいろ見てきたが、この街は文学に関しても偉大な人物を輩出している。そう。ダンテだ。彼の作品を解説する能力は私には全くないので、フィレンツェに残る彼の足跡を追ってみた。

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 ある日、サンタ・クローチェ教会に行こうとしてコルソ通りを歩いていると、トスカーナ銀行の壁に細長いプレートが張り付いているのを見つけた。「DONNA M’APPARVE・・・」=女性が私の所に現れた・・。何これ?

 辞書を持っていなかったので全体の内容はわからなかったが、ちょっと興味深い一節だ。周りを見回すと、そこから右に入るマルゲリータ通りに「CASA DI DANTE」と書かれた看板を見つけた。

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 看板に従ってマルゲリータ通りを入ってみると、とても短い通り奥の右手にダンテの家という建物があった。後で調べたところによると、ここはかつてダンテの生家のあった場所で、100年ほど前に建てなおし、今は博物館になっていた。

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 壁にはこんな肖像が据えられて、観光客を迎えてくれる。

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 今回は中に入らず、さっきの道を戻ろうとしたら、狭い路地の右手に小さな教会を見つけた。小さくて暗い堂内に何人もの人がいる。興味をひかれて入ってみた。

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 中に、こんな絵がある。ダンテとベアトリーチェが出会った場面だという。聞くと、この教会はサンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会といい、ダンテはここで結婚式を挙げ、永遠の女性となったベアトリーチェの墓がある所でもあるということだった。

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 ここですこし2人の関係をおさらいしてみよう。あの「神曲」を著したイタリア史上最高の文学者。1265年にフィレンツェで生まれた。9歳のとき、彼は“運命的な出会い”をする。自宅から路地を抜け、コルソ通りに面した屋敷に到着すると、同じ9歳のベアトリーチェを見かけた。全く会話をしたわけでもなく、ダンテが一方的に「見かけた」といった形らしい。上の絵のような感じだったのだろうか。でも、ダンテにとっては大変な衝撃だったようだ。

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 初めに見つけたプレートはそのコルソ通りにあった。「純白のヴェールにオリーヴの冠、鮮やかな炎色の衣装に緑のマントをまとった女性が、私の前に現れた」。これはダンテが神曲・煉獄篇に書いた文章の一節だった。この建物がベアトリーチェのポルティナーリ家の住まいだった。

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 そして9年後の18歳のとき、今度はヴェッキオ橋から1つ先にあるトリニータ橋のたもとでもう一度ベアトリーチェに出会う。「ベアトリーチェは年長の娘と一緒に歩いていた。ダンテはその姿を見つけ、じっと見つめていると、丁重に挨拶をしてくれた。この上ない幸福、神に近づく憧憬・・・」

 え、たったそれだけ? そう、2人の関係はたったそれだけ。

 ベアトリーチェは裕福な貴族の娘で、ダンテとは家柄の差があった。ベアトリーチェは間もなく銀行員と結婚したが、25歳で病死する。一方ダンテもジェンマ・ドナーティと結婚する。ただ、夭折してしまったベアトリーチェへの思慕の念はますます高まって、彼女への愛を綴った長編詩「新生」を発表し、これが新曲へと繋がって行く。天才は凡人とは全く違うということだろうか。(絵の作者はヘンリー・ホリデイ)

 それにしても、5人の子供を育て上げ、生涯貞淑な妻だったジェンマについては著作でも全く触れていないという。これも天才ゆえ?

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 教会に戻ろう。観光客の1人から「あれがベアトリーチェの墓よ」と言われて撮った写真がこれ。絵画の下側に白い浮彫で女性が横たわっている。いかにもといった感じだったが、帰国後書かれていた文字をよく見たら「ベアトリーチェの乳母モンナ・テッサの墓」と書かれてあった。やれやれ。

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 トスカーナ銀行の壁のように、神曲から抜粋されたダンテの文章のプレートは市内30数か所に設定されているという。これは生家近くにあったプレート。「私は美しいアルノ川のほとりの大きな都で生まれた」

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 こちらはトリニータ橋付近。「アルノ川の橋の上で・・・」

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 「平和が最後を迎えようとしている時、街を守っている石像が壊れてしまったら、フィレンツェは何か犠牲を捧げなければならない」。トリニータ橋付近。

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 「フィレンツェは古い城壁に中にあり、平和で控えめでつつましかった。その城壁では、3時と9時に鐘が鳴る」

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 サンタ・クローチェ教会前広場にあるダンテ像。この教会内にはミケランジェロ、ガリレオ・ガリレイなどの著名人の墓があり、ダンテの墓もここに造ろうとした。しかし、ダンテは当時の政治闘争で追放され、ラヴェンナで死去した。フィレンツェ市は遺骨の返還を要請したが、ラヴェンナ市はこれを拒否。同教会にあるダンテのスペースは「墓」ではなく、「記念碑」となっている。

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フィレンツェの街を中世のイメージで

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 フィレンツェはルネサンス文化の花開いた15~16世紀の面影を色濃く残している。それで、この街の風景を白黒写真に置き換えて眺めてみた。まずはミケランジェロ広場から見下ろす花の聖母大聖堂(ドゥオモ)。定番の眺めだ。

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 旧市街に降りて見上げるドゥオモ。

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 ジョットの鐘楼。84mと、東京スカイツリーの7分の1程度しかないが、周辺に高い建物がないためとても高く崇高にさえ見える。

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 そしてヴェッキオ宮。旧市街のランドマークベスト3がこれらの建物だ。

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 ドゥオモ広場とヴェッキオ宮のあるシニョーリア広場をつなぐカルツァイウオーリ通り。ジェラートのおいしい店がある。ルネサンスの時代もジェラートは売られていたんだろうか。

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 フィレンツェも意外に暑い土地だ。太陽の光がまぶしい。

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 捨て子養育園院美術館の中庭。15世紀に建造されたルネサンス建築だ。

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 庭を囲む円柱と壁面のアーチがリズミカルな旋律を伝えてくれる。

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 地下にもこんなアーチのある部屋があった。

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 養育院とアンヌンツィアータ教会とに囲まれた広場には、不思議な形の噴水があった。

 
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 この広場からは一直線にドゥオモの雄姿が見渡せる。

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  ドゥオモ広場にはいつも馬車が待機している。

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 ドゥオモと鐘楼の一体となった風景は、旅人の心を踊らさずにはおかない。

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 フィレンツェに来るといつも会いに行ってしまうペルセウス像。

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 最後はヴェッキオ橋の夜景で。

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アルノ川に日が沈み、ドゥオモが輝きを増す

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 フィレンツェは昼の美しさもさることながら、夕方の水辺の佇まいは何とも言えない情緒にあふれている。そんな瞬間を追ってみた。

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 ある教会から出たところ、遠くの西の空が赤くなっているのに気付き、アルノ川岸に急いだ。

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 たどり着いたのがサンタ・トリニータ橋。ここの橋げた付近には四季を象徴する女神像が建っている。

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 空全体が赤く染まるというわけにはいかなかったが、うっすらと水面も色づいていた。

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 川岸の街灯が点灯し、夕陽だけではなく人工の光もまたアルノ川を染めだした。

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 橋の上を望遠で追ってみた。春の暖かさに誘われて街に出た人たちが、何事か話し合う光景が、そこここに繰り広げられる。

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 後方にある教会のクーポラが、いかにもフィレンツェの橋の上らしさを強く印象づけてくれる。

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 もう、すっかり日は沈んだ。アルノ川は深い藍色に変化して行く。

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 ホテルに戻って、また例の屋上に昇った。ドゥオモのライトアップが始まる。

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 ファザードが美しい。まだ遠くの山々がドゥオモの奥にかすかに見える。

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 大理石で形成された建物の装飾は、ライトを受けて輝きを放つ。居並ぶ聖人たちの表情も見えそうだ。

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 ジョットの鐘楼のスレンダーな直線が、青くたそがれ行く空のバックから抜け出るかのように浮き上がってきた。

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 そして、ドゥオモのクーポラ。やっぱりこれに勝るクーポラはないかも、と唸ってしまった。

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フィレンツェの街で建物巡り

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 次の日には建物ウオッチングに出かけた。スタート地点はサンタ・マリア・ノヴェッラ駅。この駅から正面に見える高い建物はサンタ・マリア・ノヴェッラ教会だ。もちろん教会が先に出来て、その名前を駅の方が貰ったことになる。駅側からは教会の裏の方が見えている。

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 表に回り込んで行くと、フィレンツェ・ゴシックの華麗なファザードが見えてくる。10世紀からここには教会があったが、1246年に教会新築工事が始まり、今の形になった。ドゥオモと同じく色大理石が使われている。

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 14世紀、フィレンツェでは人口の半分が死亡するというペストの大流行に見舞われた。その時代、恐怖におののきながらミサに出席した女性たち7人が、郊外に脱出して少しでも死の恐怖から逃れて暮らそうと話がまとまった。そして、毎日各々が物語を創作して披露して行く。

 ボッカチオの代表作「デカメロン」は、まさにこのノヴェッラ教会でのミサから話が始まっている。

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 すぐ近くにもう一つ同じ名前を持つ店がある。サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局だ。1612年に開店。大公国の香料調整所としてスタートし、以来400年に渡ってフィレンツェ市民の健康と美容を支えてきた薬局。中は重厚な作りになっており、伝統の香りが漂う。ここでヒマワリのはちみつを土産に買い求めた。

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 ここから一気に東に向かった。アンヌンツィアータ広場。同名の教会と捨て子養育院美術館に囲まれた落ち着いた広場。真ん中にジャンボローニャ作の「フェルディナンド1世騎馬像」が建っている。そこから南に向かうセルヴィ通りは一直線にドゥオモにつながる通りだ。市内のどの通りよりもドゥオモと街並みとの景観が調和していると思える美しい道路だろう。

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 ドゥオモの身廊の長さ153m、幅38m、中には3万人を収容出来る巨大な建築物だが、決して威圧的ではなく、何か優しささえ感じさせる。

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 カッラーラ産の白大理石、プラート産の緑、マレンマ産の薄紅大理石と、3種類の大理石で形成されるドゥオモは、晴れた時こそ一層美しく冴えわたる。

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 脇にイルカと少年(?)のような現代的な彫像があった。作者はIvan Theimer。現代の作家なのだろうか?

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 オルサン・ミケーレ教会のある場所は、13世紀には一時市場になり、14世紀に再建されたものの、15世紀には飢餓対策として2,3階が食料貯蔵庫になったりと、非常に変わった歴史を持っている。周囲の壁に彫像が置かれているのが特徴だ。

 これは「聖トマスの不信」。ダ・ヴィンチの師匠であるヴェロッキオの作。トマスは12使徒の一人だが、キリストの復活に対して「あれ、キリストさんは死んだはずなのに、、、」と、最初復活を信じなかったという、とても常識的(?)な弟子だった。

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 同じ作品だが、昼と夜とではこんなに雰囲気が違って見える。

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 前回紹介したストロッツィ宮の外壁は、ピエトラ・フォルテという地元産の砂岩で出来ている。フィレンツェの街の基本的な色はこのピエトラによって表現されているといってもよい。1498年建設の、街を代表する建物だ。それは、ちょうどボッティチェッリが代表作「ヴィーナスの誕生」を制作した頃に当たる。

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 この馬つなぎの輪に、ボッティチェッリを載せた馬車馬が繋がれていたこともあったかもしれない。

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 ストロッツィ宮の横を通るヴィーニャ・ヌオーヴォ通りをアルノ川に向かって行くと、カッライア橋に到着する。旧市街に架かる7本の橋のうち、ヴェッキオ橋に次いで2番目に古い橋。美しい弧を描く橋げたが印象的。

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 そこから上流に向かい、ヴェッキオ橋のその先にあるのがグラッツィエ橋。すぐ近くにサンタ・クローチェ教会が見えてくる。

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 教会に向かう石畳は急な雨でしっぽりと濡れている。

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 サンタ・クローチェ広場に到着。教会のファザードが水たまりにくっきりと映っていた。

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フィレンツェの街角でみつけたもの

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 フィレンツェは歴史の街であると同時にモードの街ともいえる。なぜなら、フェラガモやグッチの本店はここにあるし、トルナヴォーニ通りを歩けばずらりとブランドの店が並んでいる。この分野はからっきし疎いけど、ちょっとのぞいてみた。まずはサルバトーレ・フェラガモ本店。

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 スカーフや靴のショウウインドウ。色遣いの鮮やかさに感心してしまう。

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 この店の中には靴の博物館があり、マリリン・モンローなど超有名スターの足形なども見られるとのこと。

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 エミリオ・プッチの店。ここはとにかく原色系の色が中心で、いつも目を奪われる。

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 こちらはバッグの店だが、それより下の女性像がすごい!

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 シャネルだったと思うけど、ちょっとうろ覚え。エレガンスさが秀逸。

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 こちらは何となく東洋風なマネキンの面白さで1枚。

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 夕方、駅方向に歩いていたら、日光が真正面から差し込む通りに出た。影が長~い。

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 ドゥオモ近くの建物の壁に付いていたプレート。「1966年11月4日、アルノ川の水位がここまで達した」と書いてある。この年の秋は大雨が降り続いて、4日にはアルノ川が決壊、旧市街のほとんどを飲み込んだ。川岸近くのサンタ・クローチェ教会では5mもの浸水でほとんど全滅状態になり、貴重な美術品も大きな損害を受けた。アルノ川は、アペニン山脈から流れ落ちる急流の下流にあり、水量が急激にあふれる運命にあるという。

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 このドゥオモ前のプレートだと、横を歩く女性の身長が1m65くらいなので、この辺の水位は2mちょっとになったようだ。

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 プレートのすぐ前の広場では似顔絵書きたちが仕事中。こんなかわいい女性も似顔絵を描いてもらっていた。

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 共和国広場では定番のジェらーとの立ち食い中。

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 こちらの女性たちは観光疲れか、日向ぼっこをしながらおしゃべりタイム。

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 近くの路上では、道路に名画を描くパフォーマンス。これはラファエロの大公の聖母でしょう。うまいよね。

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 あちこちの菓子店では復活祭用の卵型チョコがショウウインドウを占領していた。

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 そうこうしているうちに空がどんどん暗くなり、凄い雲に覆われてきた。またスコールがやってくる。早めに引き揚げよう。

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朝のフィレンツェ・ひつじ雲の空

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 今回泊まったホテルは、以前にも書いたように設備は最悪に近かったが、ロケーションだけはベスト。朝屋上に昇ればフィレンツェの夜明けが目の前に広がる。

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 このころの日の出は約6時40分。時差ボケですぐ目が覚めてしまう旅行前半では、全く苦にならない。夜明け前の街を見にベランダに出てみた。

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 ホテルから南方向にはバルジェッロ国立博物館の角ばった塔(写真左)とフィレンツェ最古の教会といわれるバディア・フィオレンティーナ教会のほっそりした多角形の鐘楼が並んで建っている。

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 北側にある小さめのクーポラはサン・ロレンツォ教会のもの。

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 すぐ手前にはサン・ジョヴァンニ洗礼堂の丸いポッチの付いた塔が、ほんのり染まり出した空に突き出ている。

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 もう一度南側を見ると、ヴェッキオ宮の高さ94mのがっちりした塔が。

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 先端に何があるのか、明るくなってからズームで撮ってみた。これは、ユリの花の付いた槍を支えてライオンが宙に浮かんでいる。中世のフィレンツェ共和国の紋章だ。1530年までは共和国の政庁がここヴェッキオ宮にあった。

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 今度はフィレンツェ出発日の朝にもう一度屋上に上がった。

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 空にはこんな雲が広がっていた。雲は全くの素人なので後日調べてみると、この雲はひつじ雲らしい。温暖前線の接近時あるいは寒冷前線が離れる時、または気圧の谷などの影響で広がる中上層雲のようだ。何もない青空よりもある程度雲があった方が、空の広さを感じることができたりする。

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 晴れている時に広がると天気は下り坂になり、翌日は雨になることが多いとのこと。確かに翌日はしっかり雨が降った。

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この街は大聖堂とその鐘楼を除けば高い建物はない。旧市街全体が建築規制されていることで、こうした景観が守られている。

 

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 無秩序に高層ビルが乱立するどこかの大都市などとは全く違った都市形成のコンセプトが、ここにある。

 
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 700年もの前から守られてきた景観。ジョットの鐘楼のすっきりした姿は、突き抜ける青空の背景こそが良く似合う。

 
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 そして、もちろん花の聖母大聖堂も。3色の色大理石が、朝日に映える。
 

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ヴェッキオ橋の昼と夜・変遷の歴史

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 フィレンツェの名所の名称は意外に単純なものが多い。ウフィツィ美術館のウフィツィはオフィスという意味のイタリア語。メディチ家の事務所だったことがその由来だし、ヴェッキオ宮のヴェッキオとは古いという意味の形容詞。ポンテ・ヴェッキオも、単に「古い橋」という意味になる。そういえばパリにはポン・ヌフ=新しい橋=というのもあったっけ。

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 名前の通り、この橋はアルノ川に架かるフィレンツェ市内最古の橋。川幅の最も狭くなる場所を選んでローマ時代からここに橋が架けられていた。1218年にアルノ川2番目の橋(カッライア橋)が架けられた時、新しい橋に対してこちらが古い橋と表現されて今に至っているという。

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 今の橋は1333年の大洪水で前の橋が流された後、掛け替えられたもの。その後の約700年のうちで最大の危険にさらされたのは第二次世界大戦末期の1944年。フィレンツェに滞在していたドイツ軍が連合軍に攻め込まれて撤退を決めた時、敵の侵攻を少しでも遅らせようと6つある橋のうち5つまでは破壊したが、ヴェッキオ橋だけはその歴史的価値に対するリスペクトとして破壊を思いとどまったという。

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 この橋の上に屋根付きの高架廊下が出来たのは1565年。政治の中枢ヴェッキオ宮からウフィツィを通り、橋を通り越してピッティ宮へとつながる1000mの廊下はメディチ家当主のコジモ1世の命で建設された。

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 クーデターが起きたとしてもすぐに避難できる脱出ルートとして使えるものだ。任されたヴァザーリは約半年でこの「ヴァザーリの回廊」を完成させた。実は、息子フランチェスコ1世の結婚式に間に合わせよという命令によって、突貫工事が行われたという。

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 こうしてメディチ家の独占通路が出来上がったが、完成して見て1つの問題に気付いた。回廊を歩いているとなぜか臭うのだ。下を見ると何軒もの肉店が橋上に開店しており、その臭いが回廊に入り込むためだ。コジモは再び決断する。肉店はすべて撤去せよ。そして、悪臭の心配のない宝飾店だけに営業を許可した。その姿が今もこの橋に残っている。

「ヴェッキオ橋の女」。現地ではこんな表現があるそうだ。ネックレスを幾重にも巻き、指輪、ブレスレットなど全身を装飾品で飾り立てた女性を、皮肉たっぷりに言う言葉だという。

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 コジモといっても、フィレンツェ繁栄の基礎を作った老コジモとは全くの別人。決しておごることなく市民の信頼を得ていた老コジモから約100年後のコジモ1世は、専制君主となっており、ルネサンスのピークからはもう四半世紀も後の時代になっていた。

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 話を今に戻そう。ヴェッキオ橋の真ん中付近に、彫像が置かれている。これはチェッリーニの顔だ。ランツィのロッジアにあるペルセウス像の作者。銘板には「フィレンツェ金銀細工の父」と刻まれている。

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 夕方、ウフィツィ美術館側からアルノ川べりに出たら、橋の向こうに夕焼けが広がっていた。

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 ピンクからブルーへと微妙なグラデーションで変化して行く夕焼け空は、なぜか懐かしい思いを湧きあがらせる。

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 ライトアップが始まった。川下側から眺めて見る。

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 昼はアルノ川の一つの点景くらいにしか見えないが、夜は、照明にさらされて、その存在感は際立っている。

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 空の青さ、水面の青さ。一体となった中のヴェッキオ。

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 そして、街灯と連動する明かりのライン。やはり、フィレンツェは美しい。

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雨がやんだら、ドゥオモ広場へ

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 フィレンツェの春は気まぐれだ。滞在した3日間、一日中晴れた日も一日中雨の日もなく、毎日晴れたり、曇ったり、また降ったりの繰り返しだった。特に雨の降り方が以前に比べて激しくなったような気がする。これも地球温暖化と関係あるのだろうか?

 ともあれ、大雨の後太陽が姿を現してくれたので、ドゥオモ広場を散策することにした。


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 青空をバックにそびえるドゥオモと鐘楼。夏の強い日差しほどではないものの、光を浴びた大聖堂の姿は格別だ。

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 雨の間は商売上がったりだった馬車たちも、早速営業開始だ。まだ石畳は濡れたままだが、そんなこと、構っちゃいられない。

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 家族連れで馬車での市内観光に。子供たちよりお母さんの方がうれしそう。

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 ミケランジェロが「天国の門」と呼んだ洗礼堂の東扉にはすぐに人だかりが出来た。扉の上の彫刻はアンドレア・サンソヴィーノ作「イエスの洗礼」。コピーで、本物は付属美術館にある。

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 広場の至る所に人がぞろぞろと湧いてきた。イースター休暇で国内外の人たちが押し寄せている。まさに雨後のタケノコのように。

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 そんな中で少年君はベビーカーの弟と何やら口げんか?

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 ドゥオモ正面入り口上のタンパンには大きなキリストの絵が描かれ、アーチの両脇に聖人たちが並ぶ。

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 扉のレリーフも見逃せない。定番の受胎告知。

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 何と背景にピラミッドが!ということは聖家族のエジプト逃避の模様だろう。

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 広場の石畳は何百年もの歳月をこの地で過ごし、波瀾の歴史も見守り続けてきたのだろう。ダヴィンチもミケランジェロも踏みしめたこの石畳(多分)。だからでこぼこになったところに雨水が溜まり、水面に広場の風景を映し出す。私には、これがたまらない。今日もついシャッターを押してしまう。

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 ジョットの鐘楼の聖人たちが揺れながら地面に映り込む。

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 大聖堂のバラ窓も。

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 雨上がりのひそかな楽しみ。

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 さあ、また教会巡りに出かけよう。

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