ジャンバティスタ・ティエポロ。ヴェネツィアの街を歩いていて、幾度となくこの名前に出会った。ヴェネツィアで何度も泊まってなじみになったアランとラウラのB&Bのすぐ近く、S・アポストリ教会で見たティエポロ、さわやかな潮風が吹き抜けるザッテレの海岸に建つジェズアーティ教会の天井画、珍しく広々としたサンタ・マルガリータ広場のカルミニ同信会壁面を埋め尽くす壁画群。出会うたびに心魅かれながら、何か不完全燃焼状態だった。それぞれに良い作品だけれど、どこかティエポロ決定版じゃないのかも、という気持ちがかすめていた。例えば私にとってのティツィアーノは、ヴェネツィア・フラーリ教会の「聖母被昇天」だし、私にとってのミケランジェロはバチカン・サンピエトロ大聖堂の「ピエタ」だった。私にとってのティエポロを見つけたい。
そんな時友人から「ティエポロを知るにはウーディネに行かなくちゃ」と聞いた。ウーディネに多くの作品が残っているという。それを見たい。思いを果たすためにこの地までやってきた。そして、このティエポロが飛躍した場所で、「私にとってのティエポロ」が見つかった。
まず訪れたのが、大司教館博物館。元々大司教の公館として使われていた建物を18世紀に大改造することになった。その際デオノシオ・デルフィノ大司教は天井や壁の装飾をまだ無名だったヴェネツィアの新進画家ティエポロに託した。時代は違うがウイーンの都市改造の時皇帝は美術史美術館やブルク劇場の装飾を新人のクリムトに命じ、そこからクリムトが躍進して行ったのと同様に、ティエポロもまた、このチャンスを機にヨーロッパ美術界に羽ばたいて行った。
その記念すべき建物の最上階が、ティエポロのフロアだ。「客間のギャラリー」に入ると一番手前にあるのが「3人の天使とアブラハム」。
そして「天使とサラ」。旧約聖書の物語だ。ある日、天使がアブラハムとサラ夫妻の前に現れた。天使たちは「来年あなた達の子供が生まれる」と告げる。当時アブラハム99歳、サラ90歳。サラは「いくらなんでも」と笑うと、天使は「神に不可能なことはない。じゃあ、その子供にイサク(笑いという意味)と名付けなさい」と命じた。そして翌年、イサクが生まれる。
天井を見ると「イサクの犠牲」がある。神はアブラハムの信心の具合を見るために「私の言うことを何でも聞くか?」と問う。「はい」と答えるアブラハムに、神は「じゃあ、イサクを殺してみよ」告げる。ひどい神もあったものだ。でもアブラハムは言いつけを実行しようとイサクに剣を振り上げる場面だ。寸前で神はその行為をやめさせるのだが、その緊張の瞬間が描かれている。
ギャラリー中央の壁面にあるのが「ラバンから偶像を隠すラケル」。今度はイサクの息子・ヤコブの話だ。ヤコブはラバンの娘ラケルと結婚したいがラバンが難癖をつけて許さない。そこで2人はラケルの持っていた偶像を盗んで家出を決行する。しかしラケルが追いつく。だが、偶像はラクダの鞍の下に隠し通すという場面だ。その偶像を持つ者が家を相続する権利を有するのだという。こうして、このギャラリーでは旧約聖書のアブラハム一族の歴史をエピソードで繋ぎながら語って行くという空間だ。
「ラケル」の作品でも人物描写は生き生きとしているし、「イサク」で象徴的なように人物を下からあおって見上げるように描く仰視法を駆使した描き方は見る者の視線を上へ上へと誘いこんでいく。この絵画の渦に巻き込まれながら、一族の歴史を共に辿る幻想の時間を過ごすことになる。ティエポロは当時30歳。若々しく華やかなテクニックでこのギャラリーを飾り尽くした。
さらに、もう1つ別の部屋「赤の間」には「ソロモンの審判」が天井を飾る。2人の女性が1人の子供を巡って互いに「自分の子供だ」と争っている。ソロモンは「それならこの子を2つに割って半分ずつ分け合えばよい」ととんでもない裁定をくだす。1人の女性は賛成するが、もう一人は「それじゃあ子供が死んでしまう」と泣いて止めに入る。そこでソロモンは「止めた女性が本当の母親だ」と宣告する。日本の“大岡裁き”はこのエピソードを元にして作られたのだそうだ。
逆さになって刺されそうな子供のために必死で止めに入る手前の女性と、奥で悠然と見過ごす女性。2人の女性の対比をドラマチックに描き分けている。
それだけでなく、ティエポロは右側にソロモンと従者たちの傍観の姿を書き加えることによって、一層劇場性を強めている。
こうした独自の解釈と構成で迫力満点の画面を創り出したティエポロ。彼は「ウーディネ」によってその才能を見いだされたといってもよいだろう。
出世のきっかけとなった初期作品に満喫した後、今度はドゥオモ横にあるプリタ礼拝堂に向かった。そこには一番見たいと思っていた作品があるはずだ。
この礼拝堂は開館時間が限られていて、水曜以外は午前中で閉まってしまう。入り口に受付の女性が1人いるだけで見学者はゼロ。「開いていますね」と確かめると「どうぞ」とのこと。入ってまず正面にある聖母像が目に入る。
そして、見上げると、あった。聖母マリアが天に向かってふんわりと浮かんでいる。背景は空の青ではなく、何と黄金色に染まっている。
キッと結んだ唇は、受難の歴史をたどってきた我が子を大きな愛で包み込もうとするマリアの決意を現しているかのようだ。その鋭い視線は画面全体を緊張感で満たしている。一方、取り囲む天使たちのあどけない姿が絶妙のバランスで見る者に安らぎを与えている。
この絵は1759年の作。大司教館の絵画から33年後、ティエポロ63歳の作品だ。円熟の境地に達した彼が、自らを見い出してくれた思い出の地で心おきなく絵筆をふるった会心の作品だと、私には見えた。私にとってのティエポロは、この瞬間「聖母被昇天」となった。
天井画の周囲に飛び交う天使たちがあどけない表情で聖母を見守る。
天使たちと全く同じ気持ちで、ティエポロの傑作に見惚れたひと時だった。
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