ラヴェンナに残るビザンティン美術の粋
ビザンティンのモザイクを語る上で欠かすことの出来ない場所がある。イタリアのエミリア・ロマーニャ州のラヴェンナだ。豊かな穀倉地帯、パルマの生ハムなど美食の州として知られるこの土地に、はるかかなたコンスタンティノープルの皇帝たちなどの輝かしいモザイク画が今も残っている。今回はそこに寄り道をしてみよう。
402年西ローマ帝国のホノリウス帝がミラノからラヴェンナに都を移して、ここは初めて歴史の脚光を浴びることになった。しかし、西ローマ帝国は476年に滅亡。その後支配権を握っていたゴート族を追放したのがビザンティン帝国だった。
コンスタンティノープルから派遣されたマクシミアヌス大司教の下で、547年、街の中心部にサン・ヴィターレ聖堂が建設された。あのアヤソフィア完成の10年後のことだ。
中に入ると、内陣に皇帝と皇妃を描いたモザイク画が迫力満点で目に飛び込んでくる。1つは皇帝ユスティニアヌスのモザイク。中央で冠をかぶっているのがその人だ。当時のビザンティン帝国第一の権力者。また、右から3番目の茶色の衣の人物が、皇帝からラヴェンナに派遣されたマクシミアヌス大司教。本来なら皇帝の横に並ぶほどの高位ではないのだが、現地での力を誇示しているかのようだ。金地に白を多用してすっきりとした構成の絵になっている。
また、もう1枚は皇妃テオドラのモザイク。こちらはやや左寄り冠の女性だ。テオドラは元々熊使いの娘で、場末の芝居小屋の女優だった。だが、皇帝に見染められてあっという間に皇妃の座に就いてしまった。美貌の人だったといい、この絵でもくっきりとした目鼻立ちはその面影を映しているのだろう。その上彼女は人一倍強い意志の持ち主だったらしい。「ニカの乱」の際のエピソードがそれを物語っているが、その話はヒッポドロームの回に説明しよう。
内陣上方には左右に天使らを従えたキリスト。若々しい姿だ。右端の司教が持つのは、このサン・ヴィターレ聖堂のひな型だ。
同聖堂のすぐ隣に簡素な家が見える。こちらはガッラ・プラチディアの廟。ラヴェンナの基礎を造ったホノリウス帝の妹の廟になっている。この日は地元の生徒たちが見学に来ていた。
外観からは想像できないような豪華なモザイク画がここにある。中央南側壁面には白衣の天使や福音史家たちなどの絵が一杯に描かれる。
聖ラウレンティウスの殉教場面。足元で燃える炎が迫力満点。また、満天の星のような深い青と金色の模様の組み合わせが見事だ。
さらにもう1つ、サンタッポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂に立ち寄った。鉄道駅の近くなので行きやすい。ここの壁面にもずらりと人物像が並んでいる。
右側の壁は26人の殉教者たちがキリストの許に向かう場面が描かれている。壮観だ。
そして左側壁面は聖母子を挟んで並ぶ22人の聖女たち。
以前に書いたように、ビザンティンの本拠地であるコンスタンティノープルは、イコノクラスム(聖像破壊運動)によって10世紀以前のモザイク画などは壊滅状態となってしまったため、後世に残されたこの地のモザイク画は最も貴重なビザンティン美術となっている。イタリアの幹線から少し外れているため、ちょっと行きにくい感じの場所だが、モザイク好きな人なら是非お勧めの穴場だと思う。
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