ローマ・建築、歴史

教皇たちの墓碑とスタンダールが絶賛した像ーサン・ピエトロ大聖堂④

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 サン・ピエトロ大聖堂は、至る所に彫刻が配置されているが、その多くは教皇や著名人の墓碑になっている。つまり、教会はお墓だらけ。絵画作品はほとんどヴァチカン美術館に移されたが、彫刻類は本物。だから、この大聖堂内での美術鑑賞は彫刻に集中すればよい。もちろん、その代表はミケランジェロのピエタになるが、他にも見事な作品が並ぶ。

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 これはアレクサンデル7世の墓碑。バロック墓碑彫刻の傑作と称される、ベルニーニの作品だ。手を合わせる教皇の下に慈愛、正義、賢明を象徴する4人の像が配置されている。オレンジの衣の広がりがいかにもベルニーニらしい。

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 イノケンティウス12世。17世紀最後の教皇で、衰退しつつあるカトリックの権威の回復に尽力した。右の秤を持つ女神の格好が珍しい。

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 グレゴリウス13世。左手を挙げた教皇は、グレゴリオ暦、つまり現在の太陽暦を採用した人だ。

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 ピウス8世。相当に高い位置に設置されている。

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 この教皇はだれなのか、調べがつかなかった。

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 こうした教皇たちの墓碑オンパレードの中にあって全く異質の墓碑を見つけた。それは、入口近く、向かって左側身廊部分にあった。

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 スチュワート家の墓碑は、縦長の大きな大理石彫刻。墓の扉の両側に裸の天使が向き合う。

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 上部には亡くなったスチュワート家の人々の胸像。名誉革命で王位を失ったスチュワート家のジェームス3世はローマに亡命していた。2人の息子には子供がいなかったため、スチュワート家はそこで途絶えてしまった。

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 あの「赤と黒」の作家スタンダールは、1817年に大聖堂を訪れた際、この墓碑に釘付けになったという。

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 「この天使像の美しさを描写することは、僕には不可能である。それと向かい合うベンチに座って、僕のローマ滞在の最も甘美な時間を過ごしたのだった」と、最大限の賛辞を贈っている。アントニオ・カノーヴァの作品だ。

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 私もスタンダールのようにベンチに座って甘美な時間を過ごそうと思ったが、今はベンチはなく、向かいにはクレメンティーナ・ソビエスキ像が配置されていた。

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 中ほどにある神秘の礼拝堂では、厳かにミサが行われていた。

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 また、バルダッキーノの柱に接する形で聖母子像が置かれていた。以前来た時にはこのような像はなかったと記憶している。クリスマス時期の特別の像なのかもしれない。

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「ローマの休日」のロケ現場ー共和国広場、コロンナ宮殿

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 ローマ・テルミニ駅近くに、非常に夜景の美しい広場がある。共和国広場だ。

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 何年か前ローマで3泊した時はこの広場のすぐ近くのB&Bに宿泊したので、何度もこの広場を通った。その時、ここの夜景の美しさに初めて気づいた。

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 テルミニ駅から地下鉄A線で1駅という至近距離だ。

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 広場の中央に噴水がある。1901年、マリオ・ルテッリ作のナイディアの泉。4人の妖精の像が配されている。

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 また、口輪のついた犬の像もあった。

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 もともとここには4世紀にディオクレティアヌス大帝によって造られた巨大浴場があったが、その壁面の半円形を活かして広場が整備された。それで、周囲のビルは広場を丸く取り囲むようになっている。

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 日が沈むと噴水を囲むビル群がライトアップされる。空が青味を増すにつれてビル群の輝きが一層鮮やかになり、美しいコントラストを見せてくれる。

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 アーケードの照明も趣のあるデザインだ。

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 この広場は、オードリー・ヘップバーン主演の「ローマの休日」にも登場する。アン王女は歓迎会パーティの後、大使館を脱出し、軽トラックの荷台に乗って深夜のローマの街に出る。トラックから降り立った最初の場所が、この共和国広場だった。この日も、まるで王女のようなスタイル抜群の女性が広場に立って噴水を眺めていた。

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 今は周囲のビルには大きなホテルなどが入っており、三越のローマ支店もここにあった。

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 また、共和国広場からクイリナーレ通りを西に行くと、コロンナ宮殿がある。ここは「ローマの休日」のハイライトシーンで使われた場所だ。宮殿の細い螺旋階段を上ると、大広間に通じる「勝利の柱の部屋」に出る。

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 ここが、最後の記者会見でアン王女が立った場所。王女の視点で広間を見るとこういう眺めになる。

 グレゴリー・ペック扮する記者たちが並んで、王女の言葉を聴く。「訪問先のどこがお気に召しましたか?」「ローマです。永遠に忘れ得ぬ思い出となるでしょう」。あの印象的なラストシーンは、ここで撮影された。

今は、ここは美術館になっているが、開館するのは土曜日の午前中だけ。しっかりスケジュールを調整しておかないとなかなか入れない美術館だ。そういえば、この美術館ではボッティチェッリの小さな作品を見ることが出来た。

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噴水の街・ローマの代表ートレヴィの泉

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 ローマの街を特徴付けているものの1つに噴水がある。どの広場にもほぼ必ず水場が設けられている。その中でも最も有名なのがトレヴィの泉だろう。15世紀、教皇ニコラウス5世が水道の整備を行った際、大きな水道の終点にはモニュメント的な装飾として噴水を造った。ただ、教皇の死で中断していたものを、18世紀になってクレメンティウス12世が再開、コンペで選ばれたニコラ・サルヴィによって完成したのがトレヴィの泉だった。

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 流れる泉の前に建つ大建築のファザードのような壁面には沢山の彫刻が配置されている。中央でさっそうとポーズをとるのが海の神ネプチューン像。ちょっとミケランジェロに似ているような顔立ちだ。

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 すぐ足元には半人半魚の神話上の人物トリトンがホラ貝を吹いている。ポセイドンの息子で、水に関係する人物だけに、噴水周辺にはよく登場する。ナヴォーナ広場にもいたっけ。

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 ネプチューン像の両側には2人の女神がいる。左は豊穣の女神。籠に果物があふれて豊かさを表現している。あらら、壺からワインがこぼれ出している。ぜいたく!

 右の女神は健康を象徴する。この角度からは見えにくいが、医療のシンボルである蛇があしらわれている。

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 門壁全体は凱旋門のような形になっている。その1番上の装飾はコルシニ家の紋章だ。コルシニ家とは、この泉を完成させたクレメンティウス12世の出身家系だ。その下側、4本の柱それぞれに像が配置されている。これは左から春夏秋冬の季節の寓意像。よく見ると皆個性的なポーズが面白い。

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 ここに来れば皆することは一緒。泉に背を向けてコインを投げ入れること。この日もそれぞれに順番でコイン投げをしていた。一時禁止になったこともあったのだが、今は復活したらしい。私も最初に来た時コインを投げて、そのお蔭かこうしてまたローマに来ることが出来た。

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 今回の旅は教会巡りが主だったので、あまり大勢の観光客と鉢合わせすることは少なかったが、ここだけは観光客であふれていた。

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 こんなユニフォームのようなおそろいの赤い服の女性たちも。東欧系の顔立ちに見えた。

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 この広場にはベルニーニの像のあるフラッテ教会から来たので、広場脇から入る形になった。横からでもネプチューンは目立つ。

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 左サイドから見た全景。馬たちの様子も面白い。

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 広場近くのカフェで一休み。カフェラテには薄く葉っぱの模様が付いていた。

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 こちらは以前夏場に行った時のもの。夜になるとまたムードが変わる。

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 泉のほとり、あちこちでで語り合う人たち。

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 夏場はかえって夜の方が賑わっていたようだった。

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ラファエロの眠る古代建築ーパンテオン

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 古代ローマ時代の建物として見事にその姿を完全に今に伝えるのが、パンテオンだ。まずは紀元前25年ごろにアグリッパが神殿を建て、その約120年後にハドリアヌス帝が今のような円形のものに立て直した。以来1900年間、常にローマの象徴としてそびえ続け、ルネサンスの建築家たちにも大きな影響を与えてきた。

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 屋根の中央にあるドームの大きさは直径43・3mで、フィレンツェのドゥオモよりも大きい世界最大の石造建築だ。

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 円形の天井窓の穴は直径9m。ガラスも何もなくぽっかりと穴があいている。雨が降ったらどうなるだろうかと思うのだが、まだ雨の日に行ったことがないので不明。クーポラは極力軽くするためにくぼみを造っている。全部で5層あり、下に行くほど大きなスケールになっている。

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 それでもこれほどの重みを支えるには、大変な力が必要になる。天然コンクリートによる周囲の壁の厚さは6・2mにもなり、さらに補強のためのアーチも組まれている。

 こうした建築における重力問題は常に技術者を悩ませ続けたが、フライング・バットレスの出現によって初めてゴシックの高層建築が可能になって行く。

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 玄関部分。高さ12・5mのエジプト産花崗岩の円柱が16本並ぶ。

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 高いオベリスクのある広場は観光客だけでなくローマの人たちにとっても安らぎの場となっているようで、カフェのオープンスペースでゆったりとくつろぐ人たちをよく見かける。

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 中にはラファエロの墓がある。墓の上にある聖母子像はロレンツェット作。ラファエロはこの像と共にパンテオンに葬って欲しいと遺言を残し、その遺志通りにここに眠っている。

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 これがラファエロの棺。左側に「RAPHAELO」の文字が見える。ハトのたわむれる小ぶりな彫刻が飾られている。

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 入口近くにあった「受胎告知」。メロッツオ・ダ・フォルリ作。15世紀になってから描かれた。つまり内部は中世以降もいろいろと手が加えられていることが分かる。

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 床には円と四角の模様が交互に描かれている。

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 一番奥には半円形の壁があり、礼拝堂になっている。

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 夜になるとライトアップされて、その姿はまた一段と荘厳さを加える。切妻には最初の建設者に敬意を表して、アグリッパの名前が残されていた。

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勇者たちの凱旋ロードーフォロ・ロマーノ

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 フォロ・ロマーノは紀元前以来古代ローマの政治経済の中心地として栄えた土地だ。神殿や公共施設が建ち並び、時の英雄たちが演説し、凱旋した場所でもある。そこを眺めるのにとても良いスポットがある。カンピドリオ広場の市庁舎裏だ。高台になっているためにフォロ全体を見下ろすことが出来る。

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 最初に目につくのはセプティシウス・セヴェルスの凱旋門。高さ21mで大小3つのアーチを持っている。パルティア人との戦いに勝利した記念碑として3世紀に造られた。パリのナポレオンの凱旋門なども、こうした門を参考にして造られたと容易に想像できる。

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 門の向かって右上部分には、軍遠征の模様などを描いたレリーフがある。

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 大アーチの下を通る道は聖なる道。門と同時に3世紀に造られた、まさに凱旋パレードをするメインストリートだった。カエサルもここを通って凱旋したのだろう、と思ったら、カエサルは紀元前44年に暗殺されており、この凱旋門が出来た時にはもうこの世の人ではなかった。

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 門のすぐ右横、足元に屋根で覆われたところが、カトゥルスの祭壇。農耕を伝授した神の祭壇だ。

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 祭壇の南側に一際目立つ花崗岩の列柱8本が今もそびえるのは、サトゥルヌスの神殿。ここに国家の財宝が納められていた。紀元前1世紀のものが火災に遭い、3世紀末に再建されたものの一部を今こうして見ることが出来る。

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 同神殿の手前、黒っぽい石(玄武岩)の敷き詰められた、左右に伸びる道が、クリウス・カピトリヌス。戦いに勝利した軍の馬車が、市民の歓呼に答えながら戻るルートだった。

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 手前の3本の高い円柱を残すのは、ウェスパシアヌスとティトウスの神殿。また、神殿の真後ろにある1本だけの円柱はビザンツ帝フォカスの記念柱。

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 こうした様々な遺跡を一望できるスポットにいると、一瞬自分も古代の世界にワープしたような気分になってくる。

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 と、となりのカップルのはしゃぎ声で、現実の世界に引き戻された。男性はまるでグラディエーターの様にたくましい顔立ちだった。

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 改めてフォロ全体を眺めてみる。右奥、3本柱の上に3段の石積みがある遺跡は、カストルとポルックスの神殿。前回カンピドリオ広場にあった双子像の名前だ。その双子に奉献された神殿で、後年は中に役所や銀行も入っていたという。

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 同神殿の左側にさらに小さな3本の柱が見える。ここはウエスタ神殿。国の繁栄を守る聖火とパラスアテナ像が置かれていた。聖火を守る巫女の存在も知られている。

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 円筒形の建物はロムルス神殿。ロムルスはもちろんローマの建国の父。

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 このフォロで最もよく形が残っているのが、アントニヌスとファウスティーナの神殿。高さが17mもある大理石の列柱が見事に立ち並んでいる。

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 また、カストルとポルックス神殿の真後ろに少しだけ見える門がティトゥスの凱旋門。ユダヤ戦争勝利を記念して建てられた。ここが聖なる道の終点になる。

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 こうしたきらびやかな遺跡群の後方に、一段と大きなコロッセオが姿を現していた。やっぱりローマはすごい!

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紀元前の人々との対面ーカピトリーニ美術館

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 カンピドリオ広場にあるカピトリーニ美術館は、広場右側のコンセルヴァトーリ宮殿と左側の新宮とが一緒になって1つの美術館を形成している。1471年、教皇が持っていた古代彫刻をラテラーノ宮からここに移して公開したのが始まりで、いわば世界最古の美術館ともいえそうだ。コンセルヴァトーリ宮殿側に入場口がある。

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 この刺を抜く少年像は、紀元前1世紀ごろの作品。ごく日常の一般庶民の姿が実にリアルに表現されている。神話の英雄たちだけでなく、こんなさりげない風景も作品に仕上げた当時の作家のセンスと力量にびっくりする。

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 少し進むと広い中庭に出る。ここにあったのが巨大な顔。初めてキリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス帝だ。強い意志が現れた顔だ。そばの女性と比べれば、大きさがわかる。

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 顔が大きければ手も大きい。

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 もちろん足も。330年、帝国の首都をローマからコンスタンティノープル(後のイスタンブール)に遷都するという大胆な政策で歴史を変えた人物だ。

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 こちらは古代の戦士像。

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 絵画部門にはカラヴァッジョ作品があった。女占師に手相を見てもらう若者。そんなふりをして指輪を抜き取る場面だ。無知な若者としたたかな女との組み合わせは、ラトゥールの「いかさま師」を思い出させる。

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 「洗礼者ヨハネ」。多くの絵はキリストに洗礼を施したヨハネを中高年の姿で描いているが、カラヴァッジョはごく普通の少年として描いた。彼独特の強いコントラスト表現がもう発揮されている。

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 廊下を渡って新宮殿に移動する。その途中、フォロロマーノの素晴らしい風景を見ることが出来る。この様子は次回のお楽しみ。

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 同美術館の宝ともいうべき「カピトリーノのヴィーナス」。2世紀ころの作品だ。このポーズは近年に至るまで様々なコピーが生まれている。

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 大理石だが、石とは思えないほどのすべすべした肌の質感も素晴らしい。

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 「エロスとプシュケ」。オリジナルは紀元前2世紀のギリシャ。ギリシャ神話のテーマとなった典型的な愛の姿として無数のコピーが造られている。

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 「瀕死のガリア人」。紀元前3世紀の傑作の摸刻。死に瀕した戦士が最後の気力を振り絞る姿を生々しく再現した。これが2000年以上前に造られていたこと自体がびっくりだ。

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 「ハトを抱く少女」。首を傾げた姿は、まるでダンスを踊っているようにリズミカルに見える。

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 対して。「円盤投げ」の戦士はさらに前の紀元前5世紀作。激しい動きの一瞬を切り取った緊張の形、盛り上がる筋肉表現など、素晴らしい。改めて古代彫刻の傑作群に圧倒された。

 

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双子座の英雄たちと出会うーカンピドリオ広場

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ローマは7つの丘の街といわれるが、その中でも歴史的に重要な場所にあるのがカンピドリオの丘だろう。紀元前509年この土地にエピテル(ジュピター)の神殿が建てられて以来約2500年、すぐ横には古代ローマの政治の中心だったフォロロマーノを見下ろして、波乱万丈の歴史が周辺で展開された。

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 ローマは軍神マルスを父に持つロムルスとレムスの双子の兄弟によって建国されたといわれるが、その兄弟とオオカミの像がこの丘にあるのも、必然だろう。

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 広場の建設が始まったのは1538年のこと。パウロ3世の命を受けたミケランジェロが全体の構図を設計した。広場中央にマルクス・アウレリウス像をラテラーノの丘から移設し、台座はミケランジェロ自身がデザインした。

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 また、一番奥のセナトーリ宮殿(現市庁舎)の前に左右に分かれる階段を置き、2体の河神像が据えられる。

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 その右側に立つコンセルヴァトーリ宮殿と同じ形の新しい宮殿を左側に新たに建設した。その際、コンセルヴァトーリ宮殿は少し手前が狭くなる斜めの形に建てられていたので、新宮殿もそれと相似形に手前が狭くなる位置にされた。

 これによって広場の形は奥が広く手前が狭い台形の形状が出来上がった。

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 正面には高く長い階段があり、それを上り切らなければ広場の全容はみることが出来ない。だが、上り切った時に突然広場が見晴らせ、手前が狭く奥が広いために遠近法をさらにデフォルメしたような不思議な広さを感じることが出来る。

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 ただ、この広場が完成したのは、ミケランジェロの死後90年もたってからのことだった。

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 広場入口には2体の巨大な像が建っている。カストルとポルックスというギリシャ神話上の双子の英雄だ。万能の神ゼウスとスパルタ妃レダとの間に生まれ、後にローマを勝利に導く活躍をする。

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 左右に2体が置かれているが、どちらがどちらかはよくわからない。双子だからね。

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 星座に詳しい友人によると、カストルとポルックスは双子座を形成する星の名前でもあるそうだ。アウレリウス像とこの双子像が出迎える広場は、英雄との出会いの疑似体験をするかのような高揚感を味わうことが出来る。

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 また、広場全体に大きな楕円形が波紋を描くように広がっている。この不思議な形は、天の摂理を表わし、黄道十二宮に対応するのだという。天体の動きが人の運命を左右するという考えは昔からあり、図形そのものは天文学や占星術に関する著作に出てくる図形とよく似ているという。

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 そんな不思議な空間はローマっ子たちの団体学習の場になっていて、この日は小学生のグループが賑やかに見学していた。

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 夜、ヴィットリア・エマヌエーレ二世記念堂からの帰り道、この階段を振り返ると一瞬、その先はどこか未知の世界につながっているのかも、、といった妄想に取りつかれた瞬間があった。

 

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個性的な彫像もーヴィットリア・エマヌエーレ2世記念堂下

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 改めて記念堂(通称ヴィットリアーノ)そのものを見てみよう。ちょうどローマ市街の中心部高台にあるので、どこから見ても目立つ。サンピエトロ大聖堂のクーポラからもこのようにはっきりと見ることが出来る。

 1855年に着工、1911年に完成した、古代神殿を模した列柱回廊を持つ建物だ。コンペで選ばれたジュゼッペ・サッコーニの設計。ただ、その姿は「入れ歯」とか「ハーモニカ」とか揶揄され、歴史を誇るローマの街に不似合いで、誠に評判が悪い。

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 下から見上げると、中央にイタリアを統一した初代国王ヴィットリア・エマヌエーレ2世の騎馬像がある。

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 その下にはローマを擬人化した「ローマの像」が立つ。

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 両脇を固める浮き彫り。右は「祖国愛」

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 左には「労働の勝利」。

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 第一次世界大戦時の無名戦士を祀る墓が設置されており、常に兵士が警備についている。

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 平和を願う灯はいつも消えることはない。

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 前面にあった彫刻。作者は不明だが、ちょっと趣があった。こうした彫像がいくつもある。

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 空に向かって飛び上がろうとする天使像。軽やかでほほえましくもあった。

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 これもひょっとしたら勝利の女神なのかも。

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 前回夕陽に輝いていた馬車像。昼に見るとまた違った印象になる。

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 こうして真下から見上げると、4頭立てであることが良くわかる。

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 エマヌエーレ2世像も、下からだと一層ダイナミックな雰囲気。

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 向かい側にはロンド教会、サンタ・マリア教会が双子のように並んでいる。

 こうして彫像などを見ていると、結構楽しい。だから、この記念堂もそんなに毛嫌いしなくともよいのに、と思った次第だった。

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女神の馬車が天空を駆けるーヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂上

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 ちょうど夕陽が沈むころだった。数日前にサンタンジェロ城からのローマの夕陽を見て、もう1度そんな光景を別の角度から見られれば、といったような淡い期待で、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂に上ってみた。

 だが、ここで見たものはローマの風景というよりは幻想と言った方がよいような想像を超えた光景だった。

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 予感はあった。数年前コロッセオから見た記念堂の夕焼けで、「あの天井の飛び立つ鳥のようなもの、近づいたら面白いかも」と、思ったことはあった。

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 青空が次第に赤みを帯び始める。それにつれて、記念堂西端に据えられた勝利の女神の操る4頭立ての「自由の馬車」(パオロ・バルトリーニ作)が影の姿となって天空に浮かび上がった。

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 西の空が一層オレンジに染まって行き、馬車はさらに濃くくっきりと、空のキャンバスにシルエットを刻んで行く。

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 一方、東の端にある「統一の馬車」(カルロ・フォンタナ作)は、まだ青い空に羽ばたいている。

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 女神の翼は一瞬サモトラケのニケを連想させる。

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 太陽が地平に没するとき、シルエットが鮮やかに輝きを発した。

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 陽がすっかり沈み、西の空が闇を含んだ赤に燃え上がって女神と馬車を炎に包みこんでしまった。

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 そんなころ、東の馬車はピンクの空間にたたずんでいた。

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 夜の訪れ。西の馬車が突然シルバーの色を伴って姿を現した。ライトアップが始まったためだ。この間10数分。劇的な幻想のドキュメントを満喫したローマの夕だった。

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 見えるのは2つの馬車像だけではない。西南の方角にはサンピエトロ大聖堂のクーポラを望むことが出来る。

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 と、その手前に鳥がいる。

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 よく見ると、ハトでした。

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 南側に見えるのはカンピドリオ広場にある市庁舎の塔。

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 その向こうにはコロッセオが夕陽に染まっていた。

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 あっという間に夜になり、コロッセオに続く道路がオレンジの太い線に変わった。

 記念堂は、その形などから決して評判はよくないが、展望スポットとしては意外な穴場かも。

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古代ローマ帝国の象徴 コロッセオと凱旋門

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 今回からローマの教会を中心とした街巡りを始めます。

 第1回は多分ローマで最も有名な古代建築物コロッセオ。「コロッセオが滅びればローマは滅び、その時世界が滅びる」と言われたほど、コロッセオは昔からローマの象徴的な建築であり続けた。

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 ここへの行き方は簡単だ。テルミニ駅からなら、地下鉄B線で2つ目のコロッセオ駅で降りれば、目の前にあの巨大な円形闘技場が現れる。

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 完成はティトゥス帝時代の紀元80年。5世紀の初めに禁止されるまで、ここでは約300年以上にわたって人間と野獣、奴隷同士の殺し合いがエンターテイメントとして展開されていた。円形ではなく楕円形をしており、円周527m、高さ48.5m。

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 一度近くのヴィンコリ教会に来た時に外観だけを遠目に見たが、ライトアップを見たくて出直した。ただ、ちょっと出遅れて、着いた時はもう夕陽が沈みかけていた。

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 北東の部分は2000年の歳月を越えて4階までの外観が残っている。

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 コロッセオのすぐ横にはコンスタンティヌス帝の凱旋門がある。門には至る所に装飾が施されているが、実はその大半は以前の建物の装飾を再利用したものだ。

 例えば、中央アーチの両側に2つずつある円形の浮き彫りは、ハドリアヌス帝時代の建築から流用したものだし、その上部の両側の浮き彫りは、マルクス・アウレリウス帝時代の建築から持ってきたものだという。ただ、寄せ集めなんだけれど、結構バランスの取れたデザインになっているところにはちょっと感心。

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 コンスタンティヌス帝が、キリスト教を異教としていたマクセンティウス帝との戦いに勝った記念として315年にこの門を建設した。同帝はキリスト教を公認した(ミラノ勅令・313年)最初の皇帝としても知られる。

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 同じ凱旋門でも、ライトアップされるとまた違った印象になる。

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 コンスタンティヌス帝は公共浴場や水道施設の修理など都市整備に努めたが、最盛期を過ぎて衰退し始めていたローマについに見切りをつけ、330年、都をイスタンブールに遷都し、自らもローマから去って行った。

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 コロッセオに戻ろう。この柱頭(柱の先端部分)をよく見ると、各階ごとに異なった様式を取り入れている。1階は単純なドーリア式、2階は渦巻き模様のイオニア式、3階は葉っぱの飾りのコリント式、4階はイオニア、コリントの複合したコンポジット式になっている。

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 ライトアップされてコロッセオが黄金色に浮かび上がった。そこだけ別次元のエネルギーを発散しているかのようだ。

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 完成当時はこの外壁は白大理石が張られていたが、その後要塞となったり、別の建築物の建設資材の供給源となってしまったりしていた。本格的な保存策が始められたのは19世紀になってからだった。

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 ちょうどクリスマスシーズンだったので、大きなツリーが設置されていた。

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 戦士の格好をした人が記念写真を誘い、法外な料金を請求するケースが頻発している。彼らの、日本人観光客へのアプローチは、サッカー選手の名前で呼び止める形が多い。以前は「ナカタ~」だったが、今は「ナガトモ~]になったようだ。

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 帰りがけ、急に強風が吹き始め、嵐のようになった。カエサル暗殺後の混乱を収拾してローマ帝国初代皇帝となったアウグストゥス帝から、帝国が東西に分裂するまでの420年間、ローマは世界の中心であり続けたが、一方では血で血を洗う戦いの歴史でもあった。そのど真ん中にそびえ立つコロッセオ。人と野獣の殺し合いの場であったコロッセオは今でも、やはりローマの不穏な空気を常にはらみ続けているように、私には感じられた。

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