モネの墓はすぐ近くの教会にあった
7月のジヴェルニーの庭は、まさに花々に埋め尽くされていた。
ほとんど花についての知識がない私でも、いくつかの花は名前がわかった。これはユリ。すっきりと伸びた花が心地よい。
ダリアの大輪は華やかで開放的だ。
この黄色い花はチューリップの1種だと教えられた。
青空に向かって咲き誇るのはシャクヤク。
モネはパレット上で色を混ぜ合わせることをしなかった。混ぜると色の明度が落ちることを嫌ったからだ。そう思って庭を見ると、花の配置もそんな印象派の手法が生きているように思う。赤い花は真っ青な葉の中に点在するように植えられている。そうするとどちらも発色の良い存在感を持ち、一方で遠くを見ると赤と緑が明るさを保ったまま混じり合っているようにも見える。
さあ、家の中に入ってみよう。
緑の窓枠が印象的な家の2階の1室は日本の浮世絵で埋め尽くされていた。北斎、歌麿、豊国、広重など壁に貼られた絵は60点以上。彼の収集した浮世絵は231点にも及ぶという。
1階はソファが置かれ、居心地の良い応接間になっていた。
また別の1室には印象派などの絵が。そこに私の好きな絵を見つけた。「パリの通り・雨」。サン・ラザール駅近くのデュブラン広場を描いたカイユボットの習作だ(現在本作品はシカゴ美術館に所蔵されているという)。カイユボットは交遊のあったモネに習作をプレゼントしたのだが、モネはこの作品が気に入り、ずっと部屋に飾っていたという。そんな生前の状態のままに飾られているのに出会えてとてもラッキーだった。
モネの庭を出て、近くの教会にあるというモネの墓を目指した。道すがらの家々にも花が飾られ、小さな村全体が庭園のよう。
ここの村の人口はわずか数百人だという。
まもなくこじんまりとした教会が右手に見えてきた。
坂を上がると一面の墓地。かなりの墓が並んでおり、たまたま前後して墓地に来た女性と手分けしてモネの墓を探した。でもなかなか見つからない。
諦めかけて、一休みしようと教会脇まで戻ると、まさにその狭い敷地にモネの墓はあった。広い墓地の中ではなかったんだ。
クロード・モネの名前が。その下には「ブランシェ」の文字が見える。彼女は、2番目の妻となったアリスの連れ子。モネの長男ジャンと結婚したが、アリスとジャンの死後はモネの身辺の世話を一手に引き受けて面倒を見た女性だ。原田マハの「ジヴェルニーの食卓」にはそんなブランシェから見たモネの晩年の様子が描かれている。
隣りには、妻アリスの名前も。
明るい陽光に照らされたジヴェルニー訪問はこうして心地よい1日の小旅行となった。
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