カトリーヌ・ド・メディシスの墓ー情念の漂う空間
サンドニにはマリー・アントワネットの他にもさまざまな歴史を彩った人たちが眠っている。例えば、アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシス夫妻。
アンリ2世の父は、レオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに招くなど、フランスを政治だけでなく文化的にも一流にしようとしたファランソワ1世だ。
そのファランソワ1世の死によって、アンリ2世は1547年、王位に就いた。
また、カトリーヌは、その名前からわかるようにイタリア・メディチ家の出身。フィレンツェからフランスに嫁入りした。
だが、2人の結婚生活は決して幸せなものではなかった。実は、アンリ2世には惚れ込んだ愛人がいた。ディアーヌ・ド・ポワティエ。
アンリがまだ子供のころ、彼の家庭教師となったのがきっかけで、アンリはディアーヌを愛してしまった。その関係はアンリが死ぬまで続く。アンリが王位に就いた28歳時にディアーヌは既に47歳。でも実年齢より20歳も若く見えるほどの美人だったという。ただ、カトリーヌとの関係も没交渉だったわけではない。2人の間には10人もの子供が生まれていた。
その長女エリザベトの結婚式祝賀の日、事件が起きた。開催された馬上槍試合の槍が誤ってアンリ2世の目を突いてしまった。この怪我が原因でアンリ2世は死亡。
その悲劇を示すかのように、アンリ2世の横臥像はがっくりと頭をのけぞらせている。それに伴って、愛人ディアーヌも追放の憂き目にあった。
夫の死後、カトリーヌは3人の子供たちの摂政として約30年間実権を握り続けた。だが、決してそれは充実した期間というわけではなかった。
長男フランソワ2世は王位継承後約1年で早世。二男シャルル9世はカトリックとプロテスタントによる内乱状態の中で病死、3男アンリ3世も暗殺されるという結果に終わった。いずれも子供はおらずカトリーヌのヴァロワ家の直系はここで途絶えることになった。
王妃ルイーズ・ド・ロレーヌとアンリ3世の横臥像もあった。
カトリーヌはさまざまなイタリア文化をフランス王室に持ち込んだ。ジェラートやマカロンの移入、フォークによる食事の習慣、イタリア料理を基にしたフランス宮廷料理の確立も彼女の功績だ。
この像はアンリ2世とカトリーヌの墓廟を飾る従者の像だ。とても優雅な姿だった。
同じくこちらも美しい従者の像。王たちと違って重い歴史を背負っていない分だけ気軽にみられるので造形の方に気持ちが傾くせいかも。
また、アンリ2世の祖父母に当たるルイ12世とブルターニュ公アンの像もあった。
なお、後にフィレンツェ・メディチ家出身のマリー・ド・メディシスがフランス王室に嫁入りするが、その相手アンリ4世は再婚。前妻マルグリットは、実はカトリーヌの娘だったという不思議な縁があった。
聖堂には他にも繊細に衣服の襞が施されたものなどさまざまな像が横たわっていた。
いずれにしてもこのサンドニ聖堂は、おびただしい死のイメージとともに、怨念や憎悪、嘆きといった、満たされぬ情念の断片がそこかしこに漂っているような感覚に包まれていた。
パソコンの故障でだいぶブランクが空きました。済みません。
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