シチリア シラクーサ

妖精の伝説、アルキメデス・・・シラクーサ散策

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 考古学公園から戻って、再びオルティージャ島へ。前日には駆け足で巡ったため、見逃したところなどを改めて見直すためだ。ドゥオモ広場は、からりと晴れた春の日差しを浴びてきらきらと輝いている。

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 海側に出てみると、対岸の町が一望できる。一際目立つ三角形の塔の建物はマドンナ・デッレ・ラクリメ聖所記念堂。lacrimeとは涙のことで、訳すと「涙の聖母」の意味になる。

 1953年8月29日、小さな聖母マリアの絵から涙があふれ出るという奇跡が起きた。その奇跡を記念して1990年に建築された、高さ94・3mの塔だ。

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 広場の最奥付近にこんなデザインのものがあった。これはシチリアのシンボルマーク。シチリア島の形はほぼ三角形だが、その出っ張った3つの岬を足で表現した、メドゥーサの象徴形。シチリアでは各地でこれにお目にかかった。

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 海辺にある池のようなところがアレトゥーザの泉。この泉には紙の原料となるパピルスが茂る珍しい池だ。アレトゥーザとは、森の妖精の名前。

 ギリシャ本土で、川の神アルフェイオスがアレトゥーザの美しさに惚れて言い寄ったが、これを嫌ったアレトゥーザは必死で逃げ延び、地底をたどってシラクーサまで来た。そして、この地で女神アルテミスによって泉に変身させてもらったという。その泉がここだ。

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 逃げるアレトゥーザを追うアルフェイオスの姿が、彫刻になって飾られていた。

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 また、このエピソードを扱った像が、前日歩いた別の場所にもあった。アルキメデス広場。

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 ここに、アルテミスの噴水がある。こちらは女神アルテミスが主役になっていて、中央に立つのがアルテミス。

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 足元左にアルフェイオスがおり、その右下に逃げるアレトゥーザ。妖精のピンチを危機一髪で救い出す様子の表現だ。

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 ここでは、広場の名前になっているアルキメデスの話をしなければならないだろう。彼は紀元前287年、シラクーサ生まれ。有名なアルキメデスの原理を発見した人物だが、入浴中にその原理を発見したとき、彼は風呂から飛び出し、裸で街中を「エウレカ(わかった)、エウレカ!」と叫びながら走り回ったという。アルちゃん、結構ひょうきん者だったようだ。

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 改めてドゥオモ広場に戻った。本当によい天気だ。

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 帰り道も前夜と同じカヴール通り。ピンクのスカーフを巻いたキュートな女性の看板。

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 ここは前夜おいしいシチリア料理を食べたレストラン「SCIALAI」。お勧めです。

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 ぶらぶらしながら帰路に着いた。

 これから電車でタオルミーナへ。

































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シチリア・ネアポリス考古学公園の味わい深い階段客席

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 翌朝、一番でネアポリス考古学公園に出かけた。雲1つない快晴だったので、バスの予定を切り替えて歩いて公園へ。

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 公園入口と切符売り場が道路を挟んで反対側になっていて、少し迷ったがどうにか切符を入手。まずはギリシャ劇場へ。

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 紀元前3世紀のこの劇場は、直径138m、1万5千人収容と、ギリシャ世界最大の規模を誇った。現在はかなり風化し、イベント用の工作物もあったりして、当時そのままの景観ではないが、面影は十分感じることが出来る。

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 階段式の客席は、石灰岩が劣化しているが、下から見上げるとその劣化具合が逆に歴史の年輪を見るようで、味わい深い。

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 一番上段からは周囲の風景が一望できる。アテネでさえ4万人以下だった当時、シラクーサの人口は5万を超えて地中海社会最大の都市になっていた。

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 すぐ近くに石切り場があるように、ここも石灰岩の岩場。天然の石灰岩を階段状に切って観客席を造った。その観客席が、少しずつ天然~自然の地に還っていきつつあるような思いにとらわれた。

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 後日、タオルミーナのギリシャ劇場に行ったときにしみじみと感じたことだが、劇場のロケーションは、中央の舞台を見下ろすと同時に、その背後にある海を含んだ大自然の風景を一望できる造りになっている。 

 自然と演劇との融合が、ここにも見て取れる構造だ。

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 劇場のすぐ近くにあったのは「ディオニュシオスの耳」。高さ36mの岩の上部から、まるで耳の形のように切り込みが入った洞窟だ。

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 その入口に、ネコちゃんが、まるでここを守ってでもいるかのようにきりっとした姿で座っていた。

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 音響効果が優れていることで有名で、中の話声が、端から端まではっきりと聞こえてしまう。

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 紀元前4世紀ころ、当時の王ディオニュシオスは、ここに敵国の兵などを収容していた。そして、岩場の上に立って、彼らの密談などを盗聴していたとされる。

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 名前の命名者はカラヴァッジョ。1608年この地に滞在した際にこう名付けたという。洞窟の形はまさに耳。ドンピシャのネーミングだ。

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 その横は「天国の石切り場」。これらの石は周辺の各種建築物などに活用されている。

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 さらに、ガイドブックにはアルキメデスの墓があると記されていた。あちこち探したが、案内板などは全く見当たらない。ぐるぐる歩き回った末、多分ここだろうと思うところで写真を1枚。






































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サンタ・ルチア、カラヴァッジョー時代に翻弄された二人がシラクーサで・・・。

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 ドゥオモ広場の一番奥にあるサンタ・ルチア・アッラ・バディア教会に入った。

 「サンタルチア」の歌でも有名な聖ルチアは、約1700年前、この地シラクーサに生まれた。まだキリスト教が公認されていなかったため、純真なキリスト教徒だったルチアは密告されて逮捕された。数々の拷問の末、304年、短剣で首を刺しぬかれるという悲惨な最期を遂げた聖女だ。

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 そのため、教会正面入り口の真上に短剣が飾られている。

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 内部はとても明るい空間になっている。写真撮影が禁止されており、ブログで紹介できないのが残念だ。

 中央祭壇に、カラヴァッジョの「聖女ルチアの埋葬」が飾られている。カラヴァッジョは、あの悲劇の聖女の最期を、ヒロイックにではなく冷徹な眼を見据えて表現した。

 画面の上半分を占める穴倉の壁。あたかもクローズアップされたかのように大きく描かれるのは、ルチアではなく墓堀人夫。現場はまるでシラクーサの遺跡である天国の石切り場の中みたいだ。

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 背後で悲しみに暮れる人々の手前に、ひっそりと横たわるルチアの遺体。よく見ると首に致命傷となった傷も描かれている。

 洞窟内の凍りついた時間の静けさが、その悲劇性を一層深くさせている。

聖ルチアの遺体は、その後数奇な運命を辿る。

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 遺体は一旦シラクーサの教会に安置されたが、11世紀にシチリアに侵攻したビザンチンの将軍によって、コンスタンチノープル(現イスタンブール)に持ち去られた。

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 さらに、その後第4次十字軍がヴェネツィアのサンタルチア教会に移動した。

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 その教会は別の教会に吸収され、今はサン・ジェレミア・エ・ルチア教会という名前になって、その祭壇に遺体が安置されている。そんなわけで、シラクーサにはルチアの左腕の骨の一部だけが残されている。

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 ヴェネツィア鉄道駅近くのジェレミア教会の壁には「シラクーサの殉教者ルチアは、この地で安らかに眠っている」という文章が書かれており、バポレットなどで運河を渡っているときにその壁を見ることが出来る。

 聖者の遺物=聖遺物を非常に重視するキリスト教の習慣が、こんな遺物の移動を引き起こすことがよくある。そういえば、ヴェネツィア・サンマルコ教会の守護聖人マルコの遺体も、アフリカ・アレキサンドリアから持ち込んだものだった。

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  余談だが、ヴェネツィアの鉄道駅が「サンタルチア駅」となっているのは、駅建設当時、ルチア教会が隣にあったことから名付けられたもので、聖ルチアがヴェネツィアに来たことはない。

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 一方カラヴァッジョがシラクーサに滞在したのは、ほんの数カ月だけ。ローマで殺人事件を起こして逃亡した彼は、マルタ島に渡り、何点もの絵画を残した。

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 その代表作が「洗礼者ヨハネの斬首」。

 ただ、マルタ島でも争いごとを起こしてしまい、シチリアに逃げ込む。最初に上陸したのが、ここシラクーサだった。

 ちょうどその時期、放置されていたサンタルチア教会の修復が始まったばかり。絶妙のタイミングでシラクーサ在住の友人を介して制作依頼がなされ、1608年10月、この絵画制作が始まった。

 状況こそ違え、迫害の末に命を落としたルチアの人生と、逃亡の身にあった自らの運命とがどこかで重なり合う瞬間が、カラヴァッジョの心の奥にあったのだろうか。

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 ルチアの最期を描いた作品には、ヴェネツィアでも出会ったことがある。サンテ・アポストリ教会でティエポロの描いた「サンタルチア最期の聖体拝領」。この絵も気高いルチアの表情が印象的だった。
































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主役は空。シラクーサのドゥオモ広場で夜景に見入る

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 日の暮れゆく中で、改めてドゥオモ広場を眺めている。細いカヴ-ル通りから急激に空間が膨張するように広がる。

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 手前左側には市庁舎。

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 その先にはドゥオモ。

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 右側にはベネヴェンターノ・デレ・ボスコ館。いずれもバロックの華やかなファザードを持つ館が広場を取り囲んでいる。

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 広がった空間は、その先で次第に狭まって行き、奥に建つサンタルチア・アッラ・バディア教会によって閉じられる。

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 その変則楕円の形状は、周囲の高さを持たない建築群によって、空に突き抜ける空間を強調する結果となる。あくまでも澄み切った青空から、

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 じんわりと深みを加えた藍へと変わり始め、

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 漆黒の闇に色彩を変えて行く昼から夜への変化を、建築群を照らすオレンジの照明がさらに強調し、他のどこにもない唯一無二の劇的世界がここに生まれることを、この広場に立って初めて実感した。

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 その興奮は、帰り道でももう1度高められた。カヴール通りが“燃えていた”。

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 白い蛍光灯などは一切使わないオレンジの照明は、通りの両側に接するように建てられた館を照らして、かつて見たことのないほどの濃さで輝いていた。

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 まるでロウソクの灯の中を歩いているような色彩感。

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 ホテルのオーナーが熱心にこの通りを勧めてくれた理由がよくわかった。

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 そんな通りの一角で、こんな和風のイラストをみつけた。ほっこりとした気持ちでゆったりと帰路に着いた夜だった。














  

















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「最後の一片の残光」をメロスの気持ちで眺めるーシラクーサの夕陽

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 街を夕焼けが包み始める。夕陽を見に海岸に向かった。

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 海岸に通じる道も狭い。キケロが訪れ、アルキメデスが駆けた2000年以上前の時代からあったであろう、このような小路歩くことの喜びの気持ちも湧き上がってくる。

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 前方に街灯を見つけた。まだ灯は点いていないが、夕焼けの空をバックに、まるで点灯しているかのように赤みまで帯びている。どこか懐かしい風景。

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 石畳の坂もすっかり黄金色になっている。カップルが通り過ぎた。道に映された2人の影。ほのぼのとした黒さ。

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 海岸にはヨットが係留されていた。船の存在だけをシルエットにしてキラキラとさんざめくに光の粒が、海面を埋める。

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 この海面はイオニア海の西端近くに当たる。ここからほんの少し西に行けば、もうそこは地中海だ。

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 日はさらに傾き、ちょうどヨットの帆の先端にかかってきた。日常の何気ない営みとして、太陽は昇り、また沈んでゆく。

 悠久の営み、そのごくごく短い一瞬の時間を与えられて、私たちは生きている。でも、その一瞬でさえも、何と劇的で変化に富んだ光景を見せてくれるのだろうか。

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 また広場に戻った。ドゥオモのファザードが夕陽の残り火を受けて、暗く色づいている。

 ああ、こんな時間だったのだろう。メロスがシラクスにたどり着いたのは・・・

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 そう、このシラクーサは、太宰治が綴った「走れメロス」の舞台でもあるのだ。

 時代は紀元前5~4世紀ごろ、暴君として登場するのが僭主ディオニュシオスをモデルとしたと思われる「シラクス」という国の王・ディオニス。王を懲らしめようとして簡単に逮捕された村の牧人メロスは、妹の結婚式に出席するため、友人のセリヌンティウスを人質に、3日の猶予をあたえられた。

 3日後の日没までに帰らなければ、友人が処刑されてしまう。

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 妹の結婚を見届けた後、さまざまな妨害、障害を乗り越えて、メロスはぎりぎり「夕陽を受けてきらきら光るシラクスの市の塔楼」が見える所までたどり着く。

 「あなたは遅かった」。知人に言われて、赤く染まった夕陽の空を見上げてメロスは叫ぶ。

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 「いや、まだ夕陽は沈まぬ」。

 そして「最後の一片の残光も消えようとしたとき、メロスは疾風の如く刑場に突入した」。

 そんな、太宰の熱い筆致を思い出しながら、シラクーサの日没を見つめていた。






















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華麗なる聖母の“変身”を見たーシラクーサ大聖堂

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 シラクーサの大聖堂を眺めてみる。堂々たるバロック様式に生まれ変わった。

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 現在の姿になったのは、1693年にシチリア東部を襲った大地震がきっかけだった。これによってラグーザなどの都市が壊滅状態になった。ここの大聖堂は倒れはしなかったが、大きな損傷を受け、それを機にアンドレア・パルコによってバロック様式に改築された。

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 ファザードの上部にいるのが聖マリア像。ちょうど夕陽が当たり始め、

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 マリアの姿が、次第にオレンジに変化して行く。

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 さらに、真っ赤に染まって炎のような情熱のマリア像へと変わって行った。華麗なる聖母の変身劇に、偶然にも巡り合えてラッキー!

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 また、聖母の右横には聖ルチア像。彼女はこの街の守護聖女だ。

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 屋根の上には天使たちが遊んでいる。

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 入口の両脇にも聖人の像が立っている。こちらは左手に鍵を持った聖ペテロ像。

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 右側には聖パウロ像。この左右の並びはローマのバチカン大聖堂前と同じ配置だ。

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 中に入ってみよう。大理石の堂々とした柱が並ぶ。実はこの柱、紀元前5世紀にこの場所に建てられたアテナ神殿のものをそのまま大聖堂の柱として利用しているという。

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 何と2400年も前の柱ということになる。すごいことです。

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 中央に、サンタ・ルチアの絵を掲げた聖ルチア礼拝堂があった。

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 礼拝堂左横の壁にあった聖母のレリーフが美しい。

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 祭壇の下部にある箱にはルチアの手の骨が納められているという。

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 小ドームの明るさが印象的だった。



































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「ギリシャ都市の中で最も美しい街」-シラクーサへ

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 4月上旬の晴れた朝、シチリア西端の町トラーパニの港にあるバスターミナルから東端の町シラクーサへ、まさにシチリア横断のバス旅に出た。

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 朝10時、まずはトラーパニからパレルモへ。時々見え隠れするティレニア海を左に眺めながら2時間の旅。ちょうど12時にパレルモに着いた。直行バスはないため、ここで乗り換えだ。次のシラクーサ行きは午後2時発とのこと。

 発着所は鉄道駅のすぐ横のため、駅前を少しぶらついた後、駅のバルでアランチーニをぱくついて時間をつぶした。

 長距離バスの切符には乗客の名前が記入されることになっているようで、名前を聞かれた.「WATABE」と2度答えたが、切符に記入された名前は「VASABE」となっていた。イタリア語ではWはほとんど使われないので、そのせいか、あるいは私の発音がそれほどわるかったのか・・・。

 シラクーサ行きのバスはほぼ満員。隣に座った中年男性はジェノヴァ出身ということで、「コロンブスはジェノヴァの人だ」など、ジェノヴァ自慢を結構聞かされた。

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 その間、雪を戴いた山の景色、

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 見事なエトナ山の威容、

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 さらにエンナの街並みなどを見ることが出来た。

 シラクーサの到着は午後5時40分。待ち合わせ時間を含めると7時間40分の長旅だった。

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 さあ、シラクーサ。紀元前1世紀の哲学者キケロが「シラクーサはギリシャ都市の中で最も大きく、またすべての都市の中で最も美しい」と讃えた古代都市だ。

 紀元前5世紀にはすでにオルティージャ島の中心にドーリス式のアテネ神殿が建立されている。その建設はギリシャのパルテノン神殿より数十年も早く、ギリシャ世界でも最も繁栄した地中海最大の都市として名を馳せていた。

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 この街の見どころは、大きく分けてオルティージャ島の旧市街と、ギリシャ劇場などの古代遺跡地区の2つ。まずはオルティージャ島に向かった。

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 この島は面積1平方キロほどの小さな島。でも、地中海社会の中でも特筆すべき輝かしい歴史を持った場所だ。そのきっかけはギリシャ人の進出。

 BC8世紀、この地区に進出したギリシャ人たちは、まず北の港近くに神殿を造った。アポロン神殿だ。ドーリス式のシチリア最古となる神殿だった。(近年のギリシャは借金まみれの残念な国になってしまったが、昔は全然違っていたようだ)

 その遺跡がまだ残っている。今ではブティックなどが立ち並ぶ島のメインストリート・マッティオッティ通りのスタート地点あたりにある。その後、ここにビザンチン教会、アラブのモスク、ノルマンの聖堂など、支配者が変わるごとに異なる役割を担いながら、今日に至っている。

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 本来ならマッティオッティ通りからドゥオモに行くのが正規のルートなのだろうが、あえて裏通りのカヴール通りを進んだ。B&Bのオーナーが、「カヴール通りは風情があるよ」とアドバイスをくれたからだ。

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 ものの10分も歩くと、広場が見えてきた。ドゥオモ広場だ。

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 両側の建物が広場をすっぽりと取り囲む形になっている。

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 その中心にあるのが大聖堂。先ほども触れたように、2500年前にはアテネ神殿として建てられた建築が、今はキリスト教の教会に生まれ変わっている。神殿当時は東側が正面だったが、キリスト教会に生まれ変わってからは西側が正面と、180度方向転換してバロック様式の華やかな建物になっている。奥に見えるのはサンタルチア・アッラ・バディア教会。

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 広場を囲むのは、大聖堂の北隣りにセナトーリオ館、南に大司教館、対面にはベネヴェンターノ館。晴れやかな大劇場の舞台に立ったような高揚感を感じさせる美しい広場だ。




















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